2014年12月26日金曜日

起源と発端



2014年もあと少し、BKKに来て2ヶ月が過ぎました。

想像通り、人種、文化、気候、情勢が混沌と混ざり、なにか期待すらしてしまう、情報を入れ続けなくとも焦る事もなく、ストレスのない空気感がとても心地いい日々を過ごしています。(空気は汚いけど。。。)





今回は、下着の起源(lower garment)について遡ってみたいと思います。


先ずはアダムとイブ。。。

「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引きつけ、賢くなるようにそそのかしていた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづりあわせ、腰を履うものとした」     旧約聖書 創世記 第3章6-7

ワコール発行の書籍より、下着の起源は紀元前3000年。世界四大文明の一つで世界最古の文明とされ、太陰暦・楔形文字・60進数法等を考え出したとして有名な、メソポタミア文明を生み出したシュメールのテラコッタ像とレリーフに描かれた二人の婦人のうち、一方がはいている物が最初とある。




もともと短い腰巻のような(ロインクロス)が発達し、腰布が太ももにまとわりついて邪魔だという理由から、その端を固定しようという発想で生まれ形を変えてきたとも言われる。

中世の終わり、14世紀終半、この時期から西洋的な意味合いにおける下着―自然な身体の形を理想的なシルエットに変える道具ーが現れる。下着は、いごこちよい、着やすいなどというインナー感覚とはほど遠い、着る人の社会的地位を象徴するシルエットを作るために、身体を矯正するものだった。
14世紀から16世紀にかけて英語ではコッドピース、フランスではブラゲットといわれる股間を覆う布も出回るようになり、貴族の間では男性の魅力を競うためのものであり、藁やおがくずで詰め物をしてふくらまし、高級生地を使い、宝石やリボン、レースなどで飾りたてることもあったという 。

日本では卑弥呼で知られる魏志倭人伝」によると、男性は織布をそのまま身体にまとい、女性は布の真ん中に穴を開けて頭からスッポリとかぶる。このスタイルから腰巻きやふんどしに進化したいわれています。

どうですか?

今の女性下着と比べても見劣りしないくらい、遥昔の男性下着も贅を尽くし作られていたと思いませんか?

そんな今の被服(下着)をみていると考えてしまいます。
女性、男性、関わる物事が平等になれば、
より分かり合える事柄が増える。

そう思うのは自分だけですかね?

そこが下着を作りたいと思う発端であり、
志すところでもあります。